田中の苦しみ

田中の苦しみや日々感じた事を書き殴るだけ。

記事を書くことは、頭の中をまとめる事

田中は考え事をした際に、たとえどんなに小さな事だとしても文章に起こしたくなるのだ。

 

例えば、宴もたけなわのたけなわってなに?ってなって調べた時にもそれを文章に起こす。

 

Twitterに投稿しようと文章に起こして、結局投稿もせず下書きにもしないで捨てる。

 

文章に起こしているのは一瞬なのだが、理解が深まるのだ。

 

時に田中は深い考え事をする。すると頭の中を色んな事が駆け巡って行って結論が一切出なくなってしまう。

 

そこで文章に起こしてみると、時系列に沿って書く中で頭の中が整理されていく。

 

書きながら思った事はどんどんと書いていくのだが、田中が大切だと思う事はこの先にある。

 

別にその文章は人に読ませる為の文章でもなく読み返す文章でもないとしよう。

 

それでも人に読ませる文章で書く。時系列や事柄の関係性などを説明口調で書いていく。

 

クソほど暇を持て余した人が読んだ時に状況を理解できるように書く。

 

その為に、ただ書き殴っただけの文章を切り貼りしてわかりやすい並び順に直す。

 

誰に読ませる訳でもないが補足も書き加える。

 

そうする事で自分の中で起こっている事というか、考えている事が全てまとまる。

 

自分の考えのなかで矛盾している事や、それは流石に贅沢だろうなんて思ってしまう事さえ出てくると思う。

 

田中をはじめ読むのは人間しかいない為、矛盾や贅沢な考えなんて当たり前に出てきていいと思う。

 

矛盾を無くす為に考えを変えなければならない訳でもなければ、贅沢だからって謙虚にする必要もない。

 

さて、文章を書いて切り貼りして補足も書いた。誰でもわかる文章になって来たかな?

 

と思ったら一旦全部読み返すんだ。上から全部を読み返して行って、終わる頃にはまた言いたいことだらけだろう。

 

その言いたい事さえも書いていいと思う。

 

読み返して書いて読み返して書いてを繰り返すうちに、自分の思った事を全部並べた文章が出来たはずだ。

 

それがエゴの塊だろうが、甘えしかなかろうが全部自分の思った事だ。

 

田中はそれをまた読める場所に保管したい。

 

あの時はああ思ったかもしれないけど、今だったらこうだな。

 

とか、あの時は完全に間違っていたとか、期間が空いてから読み返すと思う事は沢山あると思う。

 

文章を保管する上で、大切な事はどんな事があるだろう。

 

まず、なくならない事。消せる事。見たい時に見られる事。

 

なくならない事は大前提だろう。なくなったら保管じゃない。

 

消せる事、これは正直言って消せなくてもいいと思う。

 

頭の中をまとめた文章を消す事は自分の考えを消すことと同じだと思うからだ。

 

例え黒歴史になろうとも、あの頃はこんな事考えてたんだ。あの頃も結構色んな事考えてたんだな。

 

とか振り返る事ができる。

 

振り返りたくない、恥ずかしい事を書いていたとしてもあまり問題ではないと思う。

 

恥ずかしいのはだいたい自分だけだし、思ったよりも周りは自分を見ていないもんだ。

 

なんならそうゆう黒歴史を持ってる人は相当数いるだろうし。田中も含めて。

 

そして見たい時に見られる事。

 

文章の保管には今でもアナログな紙の保管がよく見られる。

 

紙は劣化はするにしても、仕舞えばなくならないし燃やせば消えるし、仕舞ったところを探せばまた見られる。

 

保管に関してだけ言えば、これほど完璧な物はないかもしれない。

 

しかし、紙に書き殴るのは頭の中をまとめることに向いていないと思うのだ。

 

後から後から溢れ出る考えを、答えが出ないままに書いていき、書くなかでまとまっていく文章を説明口調にまとめながら書くのは随分骨が折れるはずだ。

 

消しゴムもすぐに減っていくし、ゴミ箱は丸めた紙でいっぱいになるだろう。

 

そこで、今や発達しすぎたくらいのスマートフォンやパソコンを使うと、文章はとてもまとめやすくなる。

 

切り貼りも簡単だし、選んだとこだけ消すのなんて指を0.5センチ動かすだけで事足りる。

 

Microsoftのwordを使えば紙にどのように印刷するのか、どんなフォントを使うのかだってなにもかも細かく選んで行ける。

 

パソコンを年寄りに勧める演説のようにはなってきたが、考えを文章にまとめるのはコンピュータをうまく使えって話だ。

 

少し話を戻すが、保管についてだ。

 

保管は紙がベストなんだろ?パソコンで作って印刷して保管すりゃいいだろ。

 

偏屈な人ならこんな風に思うかもしれないが、燃やすと消える紙はどうも田中は嫌なのである。

 

消せない世界、消す事は出来るが完全に全ては消えない世界であるインターネット。

 

リスクはあるがメリットの方が大きいと思うのである。

 

例えば、紙ベースで保管する際にファイリングして押入れに仕舞ったとしよう。

 

出先でふと読み返したくなった時、すぐに見る事は出来ない。

 

それをインターネット上に保管する事でいつだって見返す事が出来る。

 

鉛筆も消しゴムもいらないし、紙もいらない。ファイルだって押入れの奥の保管場所さえいらないインターネット。

 

そこで田中はブログを選択したのである。

 

下手したら紙ベースよりもずっと信頼できる保管場所かもしれない。

 

最近はクラウドのレンタルサービスなんかも充実してるし、誰にも見せない文章なのだとしたらそこでも構わないのだが、ブログを選んだ。

 

ブログならもちろん非公開にする事だって出来るし、ただただ日記みたいに書き殴ったのを保管場所としてだけ使う事も出来るだろう。

 

田中は読ませる必要のない文だと言いながらも公開している。

 

やはり矛盾だらけなのだ。

 

しかしそんな事も関係なしに、月に1度や2度の閲覧数を見てやはり誰にも気にされない事を再確認する。

 

ブログに考えた事をまとめるのは、きっと自己満足の塊でありながら、未来の自分に向けてのメッセージ的な物もあるのだと思う。

 

田中は、個人的にそんなしょうもない事をしているのが好きであって、もしもそれに同調してブログを始める人がいたら、楽しいな。

 

なんて事を考えながら公開している。

 

もちろん誰の利益になるわけでも無いし、意味のない事だと言われればそれまでなのだが。

 

そんな矛盾に満ちて自己満足だけのエゴの世界を展開できるって言うのもいいとこなのかな。

 

と、思う。

 

 

 

なんだか途中もっと書きたい事はあったんだけど、文章のまとまり的に読み返してから削りまくってこんな文章になった。

 

文章の断捨離についても今後書きたいと思っているが、読んでもらったらわかる通りほとんど断捨離出来ていない。

 

読ませる気などさらさらないとは言っているが、もっと読みやすい文章を書ける人間になりたいと思う今日この頃である。